Ⅱ 女教皇 :タロットカード 大アルカナのナナド的解釈

数秘術からみる奇数と偶数

タロットは数秘術の要素もある。

で、数秘術は数の1や2に意味を持たせるものなのだけど、全部は多すぎるので割愛。とりあえず今覚えてほしいのは「奇数は状況が定まっておらず、偶数で一度落ち着く」といったルールもある。1の魔術師で走り出す、2の女教皇でいったん落ち着くわけだ。

アニメのAパートとBパート、あるいは近年の仮面ライダーのような前後編展開がワンセットとなっている状態と思ってもらっていい。(断言)

 

で、「2」を冠する女教皇だ。

教皇は教えに従順な理想の偶像

教皇というのは聖職者の中で一番偉い人である。そして女教皇というのは現実には存在しない役職である。なぜ現実に存在しない役職が魔術師の次に現れるかというのは所説あるし女教皇のモデルになった人物もいるんだけども、私の考えは、「実際に行動して作り出す」という魔術師と対になった、「高くかかげておく理想の存在」のセットなんじゃないかなーと思っている。理想を持つことでようやくちゃんとした行動が始まる、行動には理想、目標が必要、みたいな。

あくまで理想論、そりゃみんなそうなれればいいけど現場じゃそうもいかんのだよというときにも心にはひっかけておきたい完ぺきな理想の姿(=実在しない)みたいな。その象徴が女教皇なんじゃないかなと思っている。

 

で、絵柄の解説。

神の教えを擬人化したような存在、女教皇

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教皇であることを示す冠には大きな月のモチーフがのっかっている。これは少女を示す上弦の月、成熟した女性の満月、老婆である下限の月、らしい。背後の白と黒の柱は「闇」と「光」の頭文字が書かれていて、その中央に彼女は月の冠をかぶって、TORAを持って座っているわけだ。

TORAというのはなんか超すごい「教えの書」らしくて、いろいろ由来は読んだけど「教科書」くらいのニュアンスで書かれてんじゃないかなあと思っている。聖書のはじめの5冊、モーセの書である。モーセの旅日記と人の道徳、教えが説かれているらしい。要は完全に正しい(とされる)本を持ってますよ、そしてその半分は自身のベールで隠していて「なんでも教えてやると思ったら大間違いだぞ」とも無言で言っている。(マルセイユ版の女教皇はむしろ見せびらかしてくる)

タペストリーのザクロは女性性の象徴で、これは次に出てくる「3 女帝」にも描かれている。聖職者かつザクロの絵がわざわざ描かれていることは処女性のアピールでもある。この「処女」ってのは「理想」にもかかっていて、なんというか現実に触れてない存在、みたいなところもあるんじゃないかなあ… 理想って現実にはならないからこそ理想、みたいなところあるし。あと、存在しない女教皇という存在は「男の思う理想の女(つまり現実じゃない)」みたいなところもあるって説も読んだことあったな。

ちょっと女教皇ってマリアっぽくもあるから、むかしのひとの「法(TORA)」の擬人化みたいな存在なのかもしれない。

 まとめと予告

私は女教皇のカードに対して風紀委員キャラ、図書委員長、みたいな印象を持っている。絵に描いた餅とか融通が利かないとか、きれいごとは言うけどさあ、みたいな。処女的な潔癖さ、というか。ただ、彼女は上弦の月を示す三日月を踏みつけていて、いつまでも箱入りお嬢さんじゃいませんよということも示しているのかもしれない。

 

潔癖で壁を作りがちな処女性という女性性である「女教皇」、逆になにもかもを包み込む女性性の「母性」がモチーフになっているのが次の「3 女帝」である。

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