血液型占いを利用する

若かりし頃は「え、O型なの?じゃあおおざっばなんだー」とか、「B型?だと思ったー」という人、特に当時の私から見た中年女性にそういう人が少なくなくて、そしてそういう人を心の底から軽蔑していたがここ数年で考えが変わった。

 

血液型の性格分類をスピリチュアルな観念で信じるようになったから…というわけではもちろんなくて、あの乱雑な分類が優しさとして使われることもある、というのに気づいたからである(大半は自覚のないリテラシー低い差別だけど)。

 

歳を重ねてくると、仕事で接する程度の人ならさっさとラベリングしてしまったほうが楽なこともあると感じてくる。違ってたならその時修正すればいいし。

で、まずさっさと仕分けてしまうのに、血液型の性格分類って楽だなーーと感じるのである。

むろん話題にならない限り他人の血液型を気にしたり聞いたりはしないが、たとえば誰かがミスをすれば、○○さんO型なんだし仕方ないよなーとか(言わない、もちろん)、融通が効かなければこの人A型だもんなーとか、意味わかんねえ言動が少なくなければこいつAB型だったしな、とか。

なんというか、欠点を血液型のせいにしてしまい、罪を憎んで人を憎まずとするのである。

いいことだけ採用するタロットの逆を行う。わるいとこは血液型のせい。

 

とはいえ、血液型による性格分類は必ずしも的外れでもないらしい。これは私がスピリチュアルの波動でそう感じたから…というわけではなく、医学的な話。

血液型の違いはそのまま、血液の組成が異なるということ。

血液の組成が違えば、消化吸収を得意とする食べ物が異なり、消化吸収の得意な食べ物はそのまま当人の食の好みとなる。

食の好みの違いはいくらか性格にも影響を及ぼす。野菜好きと肉好き、乳製品好きなどがそれぞれ性質に違いがあると言えばなんとなく納得するところはあるかと思う。

 

そんなわけで、血液型をやたら気にする人に対しても、ああ、さっさとラベリングして未処理棚から片付けたいのね、わかるわかる、って思えるようになった。

知識は寛容さを作る、といいなあ。

 

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