不信の一時停止

 

ラクルカードに関する記事を書いていて思い出したので。

 

 

 

「不信の一時停止」という概念があります。

フィクションを楽しむために人間は、現実にはそんなこと起こらんだろと思ってもそれらを脇に置くことができるみたいな話です。

舞台の上の木の枠をあるシーンではそびえ立つ古城として見たり、あるシーンでは牢屋として見たり。

舞台上の鈴木拡樹を本物の三日月宗近として捉えたり、手からエネルギー弾が発射される漫画に疑問を持たなかったり、推理モノのミスディレクションに全力で吊られたり、ランドやシーのきぐるみに本物のジェラや王様として接したり…あ、これは本物でしたか、そうですね。

 

要は楽しむために、いわゆる野暮なツッコミを封じて、その世界の中に身を投じて楽しむということです。

 

私はもともとオラクルカードに対して「心理学を使って作られた、よくできたセルフセラピー用ツール」「バーナム効果超発生装置」というスタンスで向き合ってはまってました。1つ前の記事にも書いてますが、スピリチュアルにくるんで臨床心理学や行動心理学的な行動を取らせようとするプロダクトが大好きなもので、スピリチュアル的な期待や憧れはほとんどしていませんでした。ちょっとはしてた。

なのでめくってどんなカードが出てきても、ははーなるほどそうくるか、たしかにこれはこじつけられるわー、ほかのデッキだとどんな工夫があるのかな?ほほーなるほどなるほどー、みたいな。

仕掛けをみやぶれる自信のあるマジシャンが各地のマジックショーを探訪するような感覚、というと自信ありすぎかもですが、まあそんなかんじです。で、タネを見破って上から目線になるんでなく、いやあよく考えられてる、よくできてるなあと楽しむみたいな。

だから、めくったカードが間違っているわけがないと強く信じていられました。むしろ積極的に騙されるつもりでやってた。

そうしてオラクルカードというセラピストの叡智が詰まったツールにそろそろ飽きてきた頃に「思考ツールとしてのタロット」というそのものずばりなタイトルの本を見つけて、あっタロットもそうなの?!と流れていきます。

 

扱えないという人は、この、不信の一時停止ができていないのでは?と最近考えています。

しょせんきぐるみでしょ?マジックとかいってるけど、タネはあるでしょ?みたいな、スピリチュアルに騙される気持ちが整っていない。夢の国マインドとでもいうべきもの。

超自然的なものに、期待してるからこそ、自分自身にカード占術をする霊力的なものがあると思えないとか、クリスタルやセージで浄化したデッキでないととか、そのへんの本屋で買った印刷物にそんな力があるわけないとか、思ってしまうのかもです。特にスピリチュアルって信じすぎると危険だって一般論が多いし。わたしもそう思う。

 

例えばあなたが弁護士だったとして(今逆転裁判やってるから…)、容疑者の話を聞く時。こいつ怪しいわ絶対犯人だーと思ってる場合と、冤罪に違いないと思ってる場合だと、全く同じ供述であっても得られる情報が全く異なってくるわけです。

前者なら容疑者の語るアリバイをまともにとらえないし、後者ならそうなった理由や手がかりを話の中から拾い上げようとする。

ある本に、一度師匠にしようと決めた人のことは盲目的に信じろ、それ間違ってるんじゃないかと思ったことでも必ず深い意味があるはずだと思って飛び込め、と書かれていました。

フェアリーオラクルカードの解説書にも、間違って引いたカードというのは存在しないという文言があります。

タロットの入門書も、ほぼすべて、カードの引きなおしはするなと書かれています。

必ず当たっているはずだと信じること。疑いを一時的に停止すること。むしろ全力で騙されるつもりになること。

これがどんな占いにおいても重要かもしれません。特にオラクルカードは楽しく安全に騙されることが可能です。タロットはちょっとやばい。

 

あわせて読みたい

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です